柴田昌年先生聞き語りシリーズ 3 「健康法への信念」
「父は、『あんたの体のことは、わしが面倒みるから』と言われたそうです」
柴田長女さんが語る、父柴田昌年先生のことです。前回のブログで、柴田昌年先生は健康は「西式健康法」と書きましたが、どういう御縁だったのでしょう。
実は柴田先生、本当に悲しいことにお連れ合いそしてお身内を、それも続けて何人も亡くされているのです。
柴田長女さんは、柴田先生の2番目の奥さんの子。そしてこのお母さんは柴田長女さん2歳のときに亡くなってしまわれます。柴田先生と柴田長女さんは3月に、お母様でありお婆さまを亡くされ、今度はお連れ合いでお母さんである方を同じ年の6月に亡くされるという悲しいできごとでした。
柴田先生の最初の奥さんという方は、柴田長女さんのお母さんのお姉さんという方でした。柴田先生最初の奥さんは、子供をおなかにしたまま亡くなっていらっしゃるのです。
お身内にあっては、柴田先生の弟さんが、華道をやる方だったのですが、20代で亡くなっているのです。妹さんは5歳で亡くなっています。
前回に、健康は西式、仏教学/植物学/書画は趣味の領域と書きました。お経のことは書きませんでしたが、〝門前の小僧〟で小さい頃から唱えられたということです。
先生ご自身で、上の写真にあるように『仏説阿弥陀経』を写経されて唱えられていたようです。強い意思を持って、供養の経を唱えられるほどに、健康法も強い信念で実践されたことは想像出来ます。
そして、片平七太郎さん(当時静岡県西会会長)から、「あんたの体のことは、わしが面倒みるから」と言って頂いて以来、
「父は、それ以来、朝食は一度としたことのない2食生活をしました」
ということです。柴田先生は、お父さん(皇甫先生、経を毎日唱えられる方でした)にも健康法をすすめられているのです。息子に勧められればすすんでするお父さんもさることながら、家族の健康について非常な責任を持って望まれていたのだと思います。最愛の人たちの死から、先生95歳で亡くなられるまで生き切った人生に、限りない尊敬の念を覚えずにはいられません。
しかし、門前の小僧習わぬ経を読む、の例えにあるようにそれは経を読むことだけでなく、健康法についてもその他生活に、柴田先生の働きかけによって醸し出された〝場〟があったように思えてくるのです。
この写真にある方々、皆さんをご紹介できないのですが、
二列目正面が西勝造先生(西式健康法創始者)で、その右隣りが片平七太郎さんです。柴田先生は、西先生の、向かって斜め右二人目の立っている方です。当時40歳でした。
実は、三保製薬研究所創業者の花澤政雄は片平さんの、向かって斜め左側二人目で立っております。
全国で講演活動をされていた西先生は、清水にも立ち寄って頂いたのですが、その折の関係者・指導者の方々が写っております。私も存じ上げる方もおられて、大変懐かしい写真です。この写真は、昭和19年ですから戦前のことですが、敗戦後も長らく、それこそ全国に燎原の火のごとく広まったのが西式健康法でした。
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プロフィール
- 花澤 久元
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- 誕生日:1946年11月6日
- 血液型:O型(Rh+)
- 趣味:スイマグ造り卒業、もっか青汁作り
- 自己紹介:
母親に首根っこつかまれて飲んでいたスイマグとの付き合いも早70年。
起きがけのスイマグ飲用を忘れず、青汁作りに精を出し、夕食を待ちこがれる”マイナス腸活”を楽しんでいる。