2019.10.04
柴田昌年先生聞き語りシリーズ 6 「皇帝が学んだ健康法」
柴田昌年先生は、庵原村(現在、静岡市清水区)のお生まれです。庵原村報復刻版(写真上)でご挨拶(写真中)をされています。
村報第一号は、柴田先生が村議会議長のとき発刊されたとあります。
その村報の復刻版完成について、その意義を語っておられるわけですが、柴田先生をそもそも村の助役にと招かれたのが、第6代村長であり当時静岡県西会会長の片平七太郎さん(写真下)で、「健康なら、私が面倒をみるから」との説得に引き受けられたわけですね。
この片平さんのところでは、満州国皇帝の薄儀の要人が報徳の教義を教授され、西式健康法は皇帝自身が西勝造先生の直接の指導を受けている(「もう一つの道」山田整骨院)そうです。
村行政の公的な文書に、柴田先生はご自分の信ずる健康法について堂々を書かれています。
「全く命がけでした。片平氏から最初に教えられたのが、朝食をやめることで、先ず朝食廃止の原理を勉強し、その日から朝食をやめ、今日まで続けており、おかげで九十才を超えることができました」と。
生半可な決心ではないこと、何事にもそれが言えること、村の将来のことに専心されたのだと思います。健康の必要を本当に自覚され実践されたのだと思います。
村の仕事は、昭和17年から終戦間近かまでされました。戦時中のことを書かれていまして、「…言論の自由は全くなく、必勝の信念としか言葉には出せない時でした。私の家の裏に照明弾が落ち、真昼より明るい光に驚く間もなく、空爆を受けるなど、戦争の末期は、さんざんでした。」とありました。
カテゴリ
プロフィール
- 花澤 久元
-
- 誕生日:1946年11月6日
- 血液型:O型(Rh+)
- 趣味:スイマグ造り卒業、もっか青汁作り
- 自己紹介:
母親に首根っこつかまれて飲んでいたスイマグとの付き合いも早70年。
起きがけのスイマグ飲用を忘れず、青汁作りに精を出し、夕食を待ちこがれる”マイナス腸活”を楽しんでいる。