柴田昌年先生は、庵原村(現在、静岡市清水区)のお生まれです。庵原村報復刻版(写真上)でご挨拶(写真中)をされています。


  村報第一号は、柴田先生が村議会議長のとき発刊されたとあります。
  その村報の復刻版完成について、その意義を語っておられるわけですが、柴田先生をそもそも村の助役にと招かれたのが、第6代村長であり当時静岡県西会会長の片平七太郎さん(写真下)で、「健康なら、私が面倒をみるから」との説得に引き受けられたわけですね。

  この片平さんのところでは、満州国皇帝の薄儀の要人が報徳の教義を教授され、西式健康法は皇帝自身が西勝造先生の直接の指導を受けている(「もう一つの道」山田整骨院)そうです。
  村行政の公的な文書に、柴田先生はご自分の信ずる健康法について堂々を書かれています。
 「全く命がけでした。片平氏から最初に教えられたのが、朝食をやめることで、先ず朝食廃止の原理を勉強し、その日から朝食をやめ、今日まで続けており、おかげで九十才を超えることができました」と。
  生半可な決心ではないこと、何事にもそれが言えること、村の将来のことに専心されたのだと思います。健康の必要を本当に自覚され実践されたのだと思います。
  村の仕事は、昭和17年から終戦間近かまでされました。戦時中のことを書かれていまして、「…言論の自由は全くなく、必勝の信念としか言葉には出せない時でした。私の家の裏に照明弾が落ち、真昼より明るい光に驚く間もなく、空爆を受けるなど、戦争の末期は、さんざんでした。」とありました。
 柴田昌年先生シリーズで、何を考えているかといいますと、95才という長寿を全うされて、先生、どんな生活をされたんだろう、というところをお伝えしたいと思っているわけです。それには健康も必要だろう、仕事も必要だ。それから生きる目標、くわえて趣味等の楽しみたしなみも、、。 それらが相まって、と考えるわけです。
  柴田先生、よく自分の今の年齢を言われて、70才なら70才までの健康法はこうして来ました、と言われるのです。80才も同じでした。自分のやってみたことで今はこうです。やってみてのことで、これからはまだこれからです、と。これは今までを肯定しながら、だからあくまでも実際にやってみてのことを話されるんですね。
いつもにこにこしながら飄々(ひょうひょう)とされていたように思います。聞くものからすると、飄々としていますから、指導者という方には見えないのですが、導かれているなあと思うわけです。
   
 
 
  清水区(旧清水市)内のお寺・承元寺さんは、清水の水源-興津川が大きく曲がる川向うにあります。こちらに柴田昌年先生作の石碑があります。左側写真が全体碑で、右側写真にお名前部分を拡大して掲載させて頂きました。詩碑本文は、
 
 初めて訪(おとの)う承元寺 鬱蒼(うっそう)たり
 新樹の中 鳥声遠近を分かち 山色西東を劃(かく)す
 雲気苔石に生じ 渓流梵宮(ぼんきゅう)を遶(めぐ)る
 老師親(みずか)ら懇ろに語る 必ずしも空々を説かず
 
 とあります。八月の終わり、夏の日差しの木陰、柴田先生自ら揮毫の文字が読みにくく、大変申しわけないことでした。何とか、九十三(歳)という数字は判読頂けますでしょうか。
  漢詩など全く無理解な私ですが、最後に柴田先生のユーモアを感じます。
 
 柴田先生が健康法に巡り合った理由は、それは奥さんとお子さんを亡くされ、二番目の奥さんも亡くされ、弟さんを亡くされ妹さんも亡くされていた…、本当につらい思いをされながらも、家族と自分の健康を何とかしなくてはと思われたからでした。
  「門前の小僧習わぬ経を読む」と供養の経を唱える毎日でした、それも通じたのでしょう、健康を皆さん維持され、お家の経済立て直しにも励まれます。
 戦後(世界第二次大戦)の家の経済は
  「植物をつくる他ない」(柴田長女さん)、
  「全部お花」
  でした、と長女さんは言われます。
 「自分の家で、いっぱい花を植え、夜、華道を教えに行った。華道は東京の家元(安達流)のところまで行って習った」「全てお花に関すること それと西式ですね」

  玄関の目の前には、梛の木(暖地に自生する、まき科の常緑高木。 仏教徒の守護神で、阿弥陀如来の化身とされた)が三本あります。玄関に覆いかぶさるくらいの大きさです。
  「植物をつくる他ない」という柴田先生のお家だからこそ、現存しなお人の歩みを見守ってくれている、そんな気がしてなりません。
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プロフィール
 
		- 花澤 久元
- 
				- 誕生日:1946年11月6日
- 血液型:O型(Rh+)
- 趣味:スイマグ造り卒業、もっか青汁作り
- 自己紹介:
 母親に首根っこつかまれて飲んでいたスイマグとの付き合いも早70年。
 起きがけのスイマグ飲用を忘れず、青汁作りに精を出し、夕食を待ちこがれる”マイナス腸活”を楽しんでいる。
 

