狭い狭いスペースです。一村さんの絵も勿論本物ではありません。2019年に奄美に旅行した時、田中一村記念美術館を訪ねました。その折、2020年版カレンダーを手に入れ、昨年は暦と共に一村さんの絵を堪能しました。
一枚一枚の絵が惜(お)しくついに、紙製額縁にカレンダーの絵を貼り付け写真のようになりました。とてもカレンダーの絵とは思えず、我がものだけにしておくのも惜しく、社会的空間(ウエブサイトを活かして)にて秘蔵の‶一村さん〟をご披露申し上げたくなったというしだいです。 (1984年12月16日のNHK教育テレビの「日曜美術館」の「美と風土」シリーズで、「黒潮の画譜-異端の画家・田中一村」と題して全国に紹介された。『アダンの画帖―田中一村伝』(道の島社)には、「生活は簡素を極めた。菜食を中心とする一村にとって、庭先の五坪の菜園に一村は生命を託しているようなものだった」とある。編著者は南日本新聞社、あとがきに次のように記されている。幼いとき、自分の才能に気づいた一村は、絵を描くことを天職のように受け止めていた。「私は絵を描くために生まれてきたのです」と自ら語っている。絵筆をとるとき「勇気はコンコンと泉のように湧(わ)き、生気が体内に漲(みなぎ)るのを覚えます」と。)
私の愛娘(犬種でありますが)が、私の帰宅時にいつも見る光景でした。この距離から三保製薬(白い建物)前の通路に私の姿が見えると、ワンワン吠えて帰宅を待ち遠しくしてくれていたらしい。その鳴き声も聞こえなくなってしました。5月29日朝、静かに息を引き取りました。
動物の死は、自然(自らその姿を隠そうとして終わっていく)なだけに、小さくとも神々しさすら感じさせて息を呑む。死まで自分で守ろうとするのだろうか、。
そんな愛娘に、帰宅を待ち遠しくさせたまま、未来への希望を伝えていたかと思わされたのです。「私」が帰りを待つ飼い主は、仕事に何の希望を持っていたのかと、、。
ネットワーク(網)の一つになることが、コロナ後の世界を予防の世界に導く
ここに〝新血液循環論〟を説明(甲田光雄著『西先生は第二の釈尊』目次の「七、心臓はポンプかそれともタンクか?」)する図があります。本文中に、
「…心臓はポンプでなく、タンクであって、血液循環の原動力は毛細血管にあると主張する西医学の説は、誰が聞いてもちょっと納得がゆきません。」「この心臓タンク説をもう少し詳しく説明すると次のようになります。」 「すなわち、体内の各細胞が飢えることにより、毛細血管より血液を要求する。そのため、毛細血管と小静脈との接合部において真空が生じ、ここに毛細管現象が発現し、これが血液を心臓から吸引する。この吸引力こそが血液循環の原動力になっているのだと主張しているわけです。」「だから、毛細血管網に血液循環の力源があるので、心臓のポンプ力は、血液循環の真の力源ではないのだと、主張しているわけです。」
とあるのですが、毛細血管の網を構成する一つ一つになることが、仕事でも必要なのだ、それが三保製薬の生きる道。「英雄という心臓」を作らないこと、それが予防につながる、、。待ってくれた娘にそれを約束しなければと思ったしだいなのです。
会社の隣組に、左官業の方がいます。壁塗りに漆喰を使うということで、その教えを受けた親方には厳しく鍛えられたそうです。
そのせいかとにかく作業場は常に整頓されていて、いい仕事をされるんだろうなと想像できます。
漆喰の壁にしたいというお客さんの注文も減っている昨今だろうとこれも想像できてその分、竹林づくりまで、、かと思います。
この左官さんに見せてもらった竹林がこの写真です。良く太陽の光が注いでいる竹林であることはその場に立てば一目瞭然です。 光の柱がある、ああ地上に太陽の光が注がれているんだとむしろ竹林のせいでわからせられます。この竹林で筍(たけのこ)を栽培して収穫されています。わたしもこの季節、その恩恵に預かり旬の筍(たけのこ)を味あわせてもらいます。今年も終わったよと、チップ用の竹枝をもらうついでに竹林を観せてもらいました。この竹林は借りられているのですが、お家から5分とかからないところにあります。
最近、道をつけてくれたその登り道を歩いた先にこの竹林が観えて、まさに天にも登る良い心持ちにさせてもらいました。
左官屋さんのお家の花壇
さすが左官屋さんの壁は板塀で、それも腰くらいに低くて車歩道からものぞけるのです。上の竹林は車歩道からは全体を見れないのですが山道がついて私も行けました。こちらの花壇は、村人にとっても〝村の花壇〟のごとくオープンなのです。「百姓だもん、、」と言いながら、本当に良く働く人でそして人の目を楽しませてくれる隣人です。
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プロフィール

- 花澤 久元
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- 誕生日:1946年11月6日
- 血液型:O型(Rh+)
- 趣味:スイマグ造り卒業、もっか青汁作り
- 自己紹介:
母親に首根っこつかまれて飲んでいたスイマグとの付き合いも早70年。
起きがけのスイマグ飲用を忘れず、青汁作りに精を出し、夕食を待ちこがれる”マイナス腸活”を楽しんでいる。