東京都台東区で、早朝の隅田川、そのほとりに1羽のサギがたたずんでいた(@Photo「朝焼けに立つ」 ’22.7.13毎日夕刊)
すっくと立つ姿は、周囲を確かめているのでしょうか、朝焼けの中に神々しさすら感じさせます。
写真ではビルの屋上から眺めているように見えますが、撮影は川の堤(つつみ)後方からのものでしょうか、。いつも田舎のサギしか見ていないものですから隅田川ほとりにたたずむサギに「もしかしたら知り合い?」と声をかけてしまったという錯覚にとらわれました、そんなことないのでしょうが。
ちょうど‶田舎のサギ〟の撮影のその日の夕刊記事でした。
こちらは田舎のサギ、弊社前の中河内川、その中州にたたずむサギでした。スマホカメラですが、望遠撮影(7/13)しました。
サギは近くでは、スマホを向けるだけで感じ取るのでしょう、アッという間に飛び立ってしまって中々写真が撮れません。
高い木のてっぺんから川の流れを確かめて、サッと飛び降りてきます。川魚を探しているのだと思っていますが。
山間にある弊社、その盆地空間をサギが羽を広げて舞っている時は私自身が舞っている感覚にとらわれます。このところ、トンビの鳴く声の反響に山間を感じ、そしてこちらは度胸のカラスに、ついサギの奥ゆかしさ?を見比べてしまいます。
ゴールデンウイークに、弊社のビルからは東側になりますが、裏山を歩きました。当地に移転しまして来年で30年になりますが、まだはじめの頃は山の上からも山元に弊社ご近所が見えていました。しかし年数を経て杉、桧が大きくなって足元は今や見えません。
それだけでも農村の移り変わりが分かります。下の地図の赤マーク(桑又川)の東側上の山に登ったのですが、山の峠にお地蔵さまがありました。ここで桑又(かまた)部落の人々は塩を受け取ったそうです。‶塩の道〟だったのですね。部落の人々も昔はずっと河口より奥に、住んでいて峠も昔の人の足ではそんなに大変ではなかったのでしょうか。現在は部落は河口近くに、弊社も河口にあります。峠で塩、反対側の降り口は甲州街道(国52号)なのです。これが信玄公の武田藩の時代のことなのか、なんと貴重な塩だったのでしょうか、昔日の村民のくらしが想像つきません。
峠の動画、ほんの数秒ですが、動いた所の木々の間、東方に富士山が見えたはずです。
地図に富士山が見えます。富士の西に富士川が流れ、桑又川(中河内川の支流)はそのまた西側を流れます。地図では表示されない程の小さい川です。富士山は近くとも、しかし富士を見るには山に登らないと、そして木々も延びてその富士も見えない程山も谷も近くです。
地図の真ん中に駿河湾、伊豆の東は相模湾です。三保(御穂)半島をご覧になれるでしょうか。
休日にチッパーを引っ張り出して、竹チップ作りになりました。朝から竹(お隣の竹林にある竹を貰い受け)を切り倒し、そのあと竹の葉の付いている小枝を切り取ってこれをチップしています。この日は4本分ほどのチップでした。
ほんとに小さいチッパーですが、畑に鋤(す)き込むくらいには問題なく細かく出来ます。器械前部(器械左手)にチップ完了の竹チップが出来ています。手前が竹の葉付きの小枝の山(チップする前)です。
このチップは、畑に一時山にして置きその後畝間に広げて後、畝の中にすき込んでいきます。炭素循環農法(たんじゅん農法)を真似していますが、肥料らしきものはこれだけです。そろそろ野菜づくりのために畝を立てなければなりません。
「竹は草でもなく木でもない」ということで、木より土に戻りやすく、草より腐敗し難いということです。その特徴もありますが、とにかく農村は竹林(それも手入れが間に合わない、)の勢いに押されて手が回っていません。
わが庭畑でも青汁の2~3の材料を収穫しています。
筍(タケノコ)の季節、山には山桜が見られます。杉の木が伸びて(この杉の林の中に竹が勢力を広げています)その分山桜が小さく見えますが、桜の花に煙る桃源郷を思わせます。 もうアッという間にGWがやってくる季節になってきました。
カテゴリ
プロフィール

- 花澤 久元
-
- 誕生日:1946年11月6日
- 血液型:O型(Rh+)
- 趣味:スイマグ造り卒業、もっか青汁作り
- 自己紹介:
母親に首根っこつかまれて飲んでいたスイマグとの付き合いも早70年。
起きがけのスイマグ飲用を忘れず、青汁作りに精を出し、夕食を待ちこがれる”マイナス腸活”を楽しんでいる。