青汁の葉材料栽培に、モロヘイヤだったり、紫蘇、レタスなど、そして今年はケールもでしたが、この生ごみからのリサイクル肥料が貢献してくれています。実は、この肥料は、チップした雑草とか木枝・竹の肥料場で醗酵剤替わりとして役立っております。
太陽光を利用するために有効な衣裳ケースを使っていますが、やはり劣化も早くて割れるのも間近になって、新しくつくることにしました。
ハンダごての熱で、水分蒸発用の穴と、排液用の穴を開けています。こちらはフタです。
こちらが本体です。フタの穴と本体の穴は、同じ上下位置に並ばないようにして使います。
出典:http://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000153682.pdf
こちらのボカシ(約一年分を造ってあります。一年前紹介写真)を、衣裳ケース本体の1/3から半分くらいまで入れ、その上に毎日出る生ゴミ、これが宝の肥料になるわけですが、一番上の写真のように陽ざしの下,肥料化します。
スイマグも、ミホクドにリサイクル(副産苦土、土壌改良剤)してご利用頂いていますが、みんな‶宝の山〟だと思います。
奄美の寺に8枚 ―田中一村の色紙発見
奄美市の田中一村記念美術館が本人の作品とみて詳しく鑑定を進めている。(6/10毎日新聞)
弊社階段踊り場美術館でおなじみの“一村展”(2021.7.1社長ブログ)。
奄美時代、無名の島外人。物静かな人。健康のため酒もたばこも一切やらず、厳しく自分を律する人だった。
同紙記事の中に、奄美時代の一村は無名で、昭和40年代に入って独特の絵画世界(上から2番目の写真・“一村展”)を確立する前に描かれたものだろう、という記念美術館学芸員有川さんの話がありました。
『田中一村伝・アダンの画帖』(南日本新聞社編)に、「、、私は、この南の島で職工として朽ちることで満足なのです」「もし七十の齢を保って健康であったら、その時は又絵をかきましょうと思います」「当奄美の私の生活は、耕作して野菜は自給しておりますので、農閑期以外は家を離れることができません。、、」「見せる為に描いたのではなく、私の良心を納得させる為にやったのですから…。」
一村さんは、’77.9月11日早朝、日課の畑仕事に出てこない、、と家主さんが「亡くなっているのをみつけ、」られてという最後だったとのことです。死後数年たって、一躍脚光を浴びるようになった日本画家でした。
東京都台東区で、早朝の隅田川、そのほとりに1羽のサギがたたずんでいた(@Photo「朝焼けに立つ」 ’22.7.13毎日夕刊)
すっくと立つ姿は、周囲を確かめているのでしょうか、朝焼けの中に神々しさすら感じさせます。
写真ではビルの屋上から眺めているように見えますが、撮影は川の堤(つつみ)後方からのものでしょうか、。いつも田舎のサギしか見ていないものですから隅田川ほとりにたたずむサギに「もしかしたら知り合い?」と声をかけてしまったという錯覚にとらわれました、そんなことないのでしょうが。
ちょうど‶田舎のサギ〟の撮影のその日の夕刊記事でした。
こちらは田舎のサギ、弊社前の中河内川、その中州にたたずむサギでした。スマホカメラですが、望遠撮影(7/13)しました。
サギは近くでは、スマホを向けるだけで感じ取るのでしょう、アッという間に飛び立ってしまって中々写真が撮れません。
高い木のてっぺんから川の流れを確かめて、サッと飛び降りてきます。川魚を探しているのだと思っていますが。
山間にある弊社、その盆地空間をサギが羽を広げて舞っている時は私自身が舞っている感覚にとらわれます。このところ、トンビの鳴く声の反響に山間を感じ、そしてこちらは度胸のカラスに、ついサギの奥ゆかしさ?を見比べてしまいます。
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プロフィール

- 花澤 久元
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- 誕生日:1946年11月6日
- 血液型:O型(Rh+)
- 趣味:スイマグ造り卒業、もっか青汁作り
- 自己紹介:
母親に首根っこつかまれて飲んでいたスイマグとの付き合いも早70年。
起きがけのスイマグ飲用を忘れず、青汁作りに精を出し、夕食を待ちこがれる”マイナス腸活”を楽しんでいる。