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過去の記事

2026.08.07

おしりを洗う国は、こうして生まれた。


300人の実験と「43度」が変えた、日本のトイレ


いまや日本では、家庭だけでなく、
駅や空港、ホテル、商業施設でも
当たり前のように見かける温水洗浄便座。

一般世帯での普及率は約80%。
100世帯当たりの保有台数は
100台を超えています。
(2026年 内閣府 消費動向調査より)

TOTOの「ウォシュレット」だけでも、
2025年11月に国内外の累計出荷台数が
7,000万台を突破しました。

海外から日本を訪れた人が、
その清潔さや多機能ぶりに
驚くことも少なくありません。

そのため、温水洗浄便座は

「日本人のきめ細かな
 サービス精神から生まれた、
 日本独自の発明」

と思われがちです。

しかし、
その歴史をたどってみると、
物語はもう少し複雑です。

日本がゼロから
発明したわけではありません。

日本が成し遂げたのは、
海外で生まれた特殊な機器を、

誰もが毎日使う「生活文化」へと
つくり変えることでした。

その陰には、
人には話しにくい身体のデータを集め、
自ら実験台となり、

わずか0.1℃の違いを確かめ続けた
技術者たちがいました。


始まりは、アメリカの医療用便座だった


温水でおしりを洗う機器の原型は、
日本で生まれたものではありません。

1960年代初め、

アメリカの企業が
医療・介護用途として製造していた
「ウォッシュエアシート」が
日本へ持ち込まれました。

TOTOの前身である東洋陶器は、

「痔を患っている人などに
 喜ばれるのではないか」と考え、

1964年12月から輸入販売を始めます。

ところが、この製品は
ほとんど売れませんでした。

便座は日本人には小さく、
温水になるまで時間がかかる。

湯温は安定せず、
噴射する方向も
一定ではありませんでした。

輸入品のため、故障しても
修理部品がすぐには手に入らない
という問題もありました。

なお、国産初の
温水洗浄便座付洋風便器を発売したのは、
TOTOではありません。

1967年、
伊奈製陶、現在のLIXILが、

スイス製の福祉用温水洗浄便器を
日本人の体格に合わせて改良した
「サニタリイナ61」を発売しました。

1976年には、
既存の便器に取り付けられる
シート型の「サニタリーナF1」も登場しています。

つまり、
日本の温水洗浄便座は、
アメリカやヨーロッパの
医療・福祉機器を出発点として、

複数の日本企業が改良を重ねる中で
育っていったのです。


そこには、「人間のデータ」がなかった


1978年、
TOTOは温水洗浄便座を
一から自社開発することを決断します。

ところが、
開発チームは意外な問題に直面しました。

便座に座ったとき、
人のおしりがどこに来るのか。

洗浄すべき位置はどこなのか。

何度のお湯なら、
熱くも冷たくもなく快適なのか。

当時、
そのために使えるデータは
ほとんど存在していませんでした。

そこで技術者たちは、
自分たちで調べることにしました。

便座の中央に針金を張り、
座った人のおしりの位置に
印をつけてもらう。

社内で協力者を募り、
男性だけでなく
女性社員にも参加を依頼しました。

最終的に集まったデータは、
男女合わせて300人以上。

非常にデリケートな実験でしたが、
社員たちは開発チームの熱意に応え、
自らの身体をデータとして提供したのです。


「38℃」と「43度」の発見


おしりの位置が分かっても、
それだけでは快適な洗浄にはなりません。

技術者たちは、
お湯の温度を0.1℃ずつ変えながら、

実際に自分の身体に当てて
感覚を確かめました。

暑い環境や
氷点下の寒冷環境でも

正常に作動するか、
長時間にわたって試験を繰り返しました。

こうして導き出されたのが、

洗浄する温水は38℃。
便座は36℃。
乾燥用の温風は50℃。

そして、
ノズルから噴き出す水の角度は
43度でした。

なぜ、43度なのでしょうか。

この角度なら、
体格や座り方に多少の違いがあっても
洗浄したい位置へ水が届きやすく、

身体に当たって跳ね返った水が
ノズルにかかりにくいことが
分かったからです。

単に、
「お湯が当たればよい」のではありません。

当たり方、洗い心地、
衛生性まで同時に成立させる角度が、
43度だったのです。

初代開発時に導き出されたこの角度は、
その後の製品にも受け継がれました。


水と電気を、ひとつの便座に入れる

もう一つの難題がありました。

温水洗浄、暖房便座、
温風乾燥を自動で調節するには、

温度を測るセンサーと、
製品の頭脳にあたるIC(集積回路)が必要です。

しかし、トイレは水を使う場所です。

水がかかる可能性のある便座に、
精密な電子回路を組み込む。

現在では当然に思えますが、
当時としては大きな挑戦でした。

技術者たちは、
雨風にさらされながら作動する
交通信号機をヒントに、

ICを特殊な樹脂で覆って
保護する方法を
採用したとされています。

陶器、水道、電気、電子制御、人体工学。

それまで別々だった技術を、
小さな便座の中にまとめ上げる。

温水洗浄便座は、
単なる「便利なトイレ用品」ではなく、

異なる分野の技術を統合した
精密機器だったのです。


1980年、ウォシュレット誕生

1980年6月、
TOTOは初代「ウォシュレット」を発売しました。

初代製品には、

おしりを温水で洗う機能
温風で乾かす機能
便座を温める機能

が搭載されていました。

名称の「ウォシュレット」は、
「Let’s Wash」を逆に並べ替えて
作られたものです。

「洗ってみましょう」
と消費者へ呼びかけるような名前でした。

しかし、
新しい製品を完成させただけでは、
新しい文化は生まれません。

当時、
排泄やおしりの話を人前ですることには、
現在以上の抵抗感がありました。


その壁を破ったのが、
1982年のテレビ広告です。

「おしりだって、洗ってほしい。」

汚れを手につけ、
紙で拭くだけの場合と、

水で洗う場合を比較する
大胆な表現によって、

それまで人前では語りにくかった問題を、
誰もが理解できる形で提示しました。

ただし、
この広告だけで、
すぐに全国へ普及したわけではありません。

調査が始まった1992年の時点でも、
温水洗浄便座の世帯普及率は約14%でした。

半数を超えるまでには、
さらに約10年を要しています。

生活習慣を変えるには、
話題になる広告だけでなく、
実際に使い、快適さを体験し、

次に自宅を建てたり
改装したりするときに選んでもらう、
長い時間が必要だったのです。


なぜ、日本で「文化」にまでなったのか

温水洗浄便座が
日本に定着した理由を、

単に「日本人は清潔好きだから」と説明するのは
十分ではありません。

いくつもの条件が、
ちょうど同じ時代に
重なっていました。

1.水洗化と洋式化が進んだ

1960年代から1970年代にかけて、
上下水道の整備と
住宅トイレの水洗化が進み、

和式便器から
洋式便器への移行が加速しました。

TOTOでは1977年に、
洋式便器の出荷数が
和式便器を上回っています。

座って使用する
洋式便器が広がったことで、

暖房や洗浄機能を組み込んだ便座が
普及する土台ができました。

2.独立したビデではなく、便座に機能を組み込んだ

イタリアをはじめとする
南ヨーロッパの一部では、

現在も便器とは別に独立したビデを
設置する習慣があります。

一方、日本で広がったのは、
洗浄機能を便座に組み込んだ
温水洗浄便座でした。

新たにもう一つ
衛生器具を置くのではなく、

便座そのものに
機能を集約したことが、

日本の住宅へ導入しやすい形に
つながったと考えられます。

3.「洗う」以外の不快も、一つずつ解消した

日本のメーカーは、
おしりを洗う機能だけで
開発を終えませんでした。

冷たい便座を温める。
においを抑える。
使用前後にノズルを洗う。
水勢や位置を調整する。
便器の汚れを付きにくくする。
操作を分かりやすくする。

使用者が言葉にしにくい、
小さな不快や不安を見つけ、

それを機能として
一つずつ取り除いていきました。

これこそが、
「日本人的なきめ細かさ」

と呼ばれているものの
正体ではないでしょうか。

抽象的な
サービス精神ではありません。

感覚を数値にし、
不快を分解し、
改善を積み重ねるものづくりです。

4.外出先でも体験できた

温水洗浄便座は家庭だけでなく、

オフィス、商業施設、
ホテル、駅、空港、鉄道、
さらには旅客機へと

設置場所を広げていきました。

購入する前に、
職場や旅行先で実際に使える。

一度使って快適さを知ると、
自宅にも欲しくなる。

公共空間への普及が、
温水洗浄便座を

「一部の人が使う高級品」から
「付いていて当然の設備」へ変える

体験の連鎖を生んだと考えられます。

5.恥ずかしい話を、分かりやすい言葉に変えた

どれほど優れた商品でも、
人が話題にできなければ
文化にはなりません。

「おしりだって、洗ってほしい。」という言葉は、
排泄にまつわる恥ずかしさを、

清潔という誰もが納得できる価値へ
置き換えました。

技術だけでなく、
言葉によって生活習慣を変えた。

これも、
温水洗浄便座が
日本で定着した大きな理由です。


「清潔にする機械」から「健康を見守る場所」へ


温水洗浄便座は、
現在も進化を続けています。

2025年にTOTOが発売した
一部製品には、排便時に

便の形
色
量

を自動で計測し、
スマートフォンのアプリへ
記録する機能が搭載されました。

かつてのトイレは、
排泄物をできるだけ早く流し、
見えなくする場所でした。

これからのトイレは、
毎日の排泄を通じて、

自分の身体の変化に気づく場所へ
変わっていくのかもしれません。

おしりを洗う機器として
始まった温水洗浄便座が、

半世紀近くを経て、
健康を見守る機器へ
向かい始めているのです。


便利だからこそ、やさしく使う

温水洗浄便座は、
強い水勢で長時間洗えば、
より清潔になるというものではありません。

日本レストルーム工業会が
紹介している研究では、

通常の健康状態の人が
一般的な使い方をしている限り、

病気や感染症が増えるとは
確認されていません。

一方で、
洗い過ぎや、

温水を排便刺激の代わりとして
使うことには、
注意が必要とされています。

男性では、

使用者に肛門周囲のかゆみが
新たに生じる割合が高かった

という調査結果もあります。

水勢は弱めから始め、
短時間で洗い、
肛門の中へ水を入れようとしない。

毎日使うものだからこそ、
刺激の強さではなく、

身体へのやさしさを
大切にしたいものです。


日本がつくったのは、機械ではなく習慣だった

温水洗浄便座の原型は、
海外からやって来ました。

国産初の製品も、
現在「ウォシュレット」の名で知られる
TOTO製ではありませんでした。

それでも、
温水洗浄便座が

日本の“お家芸”と呼ばれるまでになったのは、
輸入した技術をそのまま使うのではなく、

日本人の身体や住宅、
生活習慣に合わせて、
徹底的に作り直したからです。

300人以上の社員が協力した
身体データ。

0.1℃ずつ確かめた温度。

洗い心地と衛生性を両立した43度。

水と電気を安全に共存させる技術。

そして、口にしにくい問題を、
誰にでも分かる言葉へ変えた広告。

そこにあったのは、
派手なひらめきだけではありません。

誰も測ったことのないものを測る。
誰も言葉にしなかった不快を見つける。
使う人の立場で、何度でもやり直す。

日本が世界に先駆けて育てたものは、
温水洗浄便座という
機械だけではありません。

「おしりを水で洗う」という、
新しい日常そのものだったのです。

 

参考資料・出典

1.TOTO株式会社「5.ウォシュレット 革新は日常へ、そして世界へ」『Challenge 挑戦の歴史|TOTOの歩み』TOTO公式サイト
公式サイト

2.TOTO株式会社『TOTO百年史 1917–2017 特別編「挑戦の先にある革新」』2017年、674~687頁、PDF
PDF

3.TOTO株式会社「ウォシュレット累計出荷台数5000万台突破――日本で育まれたトイレ文化、海外でも販売好調」2019年4月3日、ニュースリリース、PDF
PDF

4.井戸田育哉「LIXILトイレ進化論」株式会社LIXIL、2018年4月30日
公式サイト

5.TOTO株式会社「TOTOの登録商標『ウォシュレット』が『日本ネーミング大賞2020』優秀賞を受賞」2020年12月2日、ニュースリリース
公式サイト

6.内閣府経済社会総合研究所景気統計部『消費動向調査 令和8年3月実施調査結果』2026年4月、6~8頁、PDF
PDF

7.TOTO株式会社「ウォシュレット累計出荷台数7000万台突破」2025年12月9日、ニュースリリース
公式サイト

8.一般社団法人日本レストルーム工業会「統計からみる温水洗浄便座の普及」『トイレナビ』
公式サイト

9.朝倉敬子「温水洗浄便座は体に良いのですか、悪いのですか?」一般社団法人日本レストルーム工業会『トイレナビ』
公式サイト

10.一般社団法人日本レストルーム工業会「温水洗浄便座の使用上のご注意について」2013年9月26日、『トイレナビ』
公式サイト

※上記Web資料の最終参照日:2026年8月4日


参考図書

林 良祐『世界一のトイレ ウォシュレット開発物語』朝日新聞出版、2011年。

※「ウォシュレット」はTOTO株式会社の登録商標です。
 本記事では、TOTO株式会社の商品を指す場合は「ウォシュレット」、製品の種類を一般的に表す場合は「温水洗浄便座」と表記しています。

※上記Web資料の最終参照日:2026年8月4日

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  • 趣味:スイマグ造り卒業、もっか青汁作り
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    母親に首根っこつかまれて飲んでいたスイマグとの付き合いも早70年。
    起きがけのスイマグ飲用を忘れず、青汁作りに精を出し、夕食を待ちこがれる”マイナス腸活”を楽しんでいる。
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