排泄は予防の元(はじめ)
心とからだ(十)
“週末のレクリエイション”
現代の人間の自然に対するやり方には、畏怖の念が微塵もないのである。『週末』に『自然の中へ出かけてゆく』ひとびとを見るがいい。…彼らはさながら動員された人々、自然に向かって進発する応召兵士のようである。しかも彼らは、自発的にこの自然に向かっての進軍を計画したのでさえもなく、命令のもとに―一つの日々命令、『週末』という日々命令のもとに―進軍を開始したもののようにみえる。(ピカート「われわれ自身の中のヒトラー」より)
子供達からは「休みの日くらいどこかへ連れてって」とせがまれて、―当の大人も出かけないではいられない―。私もそんな経験をしているのですが、ピカートは「人間どもが進軍して、自然を襲撃している」というんです。ずいぶんきついことをいう人だという気もするのですが、しかし言われてみると、さて自分はどうだろうと考えさせられるのです。
私達は「ひとがそうしているからそうする」というところがあるのではないでしょうか。そんなすがたは、「動員されている兵士のよう」と言われればそう思えなくもない。それが週末に『元気回復(レクリエイション)』のためにでかけた湖畔での私達のすがたか。なんとも背すじが寒くなる思いなのです。
夕方汽車に乗って家へ帰ってゆく人々の顔はどうみても、自然のなかで魂と精神とを強化した人々の顔とはみえない。いや彼らは、ただ強制されて為しとげた一日の労働から解放されて夕暮に家路をたどる労働者たちのように、疲れきっているのである。
労働者は週末すら『元気回復(レクリエイション)』にはならないようです。ピカートは「現代人は害(そこな)われている、彼らが救われたと信じている場合においてさえも、やはり害われている」というのですが、いったい何が狂っていて害われているのでしょうか。どうも『週末』だけのせいではなさそうです。
ヴォルテールという人が「愛し考えること、それが精神の真の生命だ」と書いています。もう一度そこにたちかえらなければならないようです。(H)
第21号 1986年11月1日